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『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』を読んで、VTuberに思いを巡らせてみた

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はじめに : エンパワーされる私たち、私たちをエンパワーするアイドル/VTuber表現

『アイドルについて葛藤しながら考えてみた : ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』は、2022年7月に青弓社から刊行された香月孝史、上岡磨奈、中村香住編著の書籍であり、「アイドルの可能性と問題性について、手放しの肯定でも粗雑な否定でもなく、「葛藤しながら考える」ための試論集」とされています。
Twitterで、何名かの方が話題にされているのを見かけて購入して読んだのですが、なかなかに含蓄が深いものでした。

目次は次のような感じです。

第1章 絶えざるまなざしのなかで――アイドルをめぐるメディア環境と日常的営為の意味 香月孝史
第2章 「推す」ことの倫理を考えるために 筒井晴香
第3章 「ハロプロが女の人生を救う」なんてことがある? いなだ易
第4章 コンセプト化した「ガールクラッシュ」はガールクラッシュたりえるか?――「ガールクラッシュ」というコンセプトの再検討 DJ泡沫
第5章 キミを見つめる私の性的視線が性的消費だとして 金巻ともこ
第6章 クィアとアイドル試論――二丁目の魁カミングアウトから紡ぎ出される両義性 上岡磨奈
第7章 「アイドル」を解釈するフレームの「ゆらぎ」をめぐって 田島悠来
第8章 観客は演者の「キラめき」を生み出す存在たりうるのか――『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を通して「推す」ことの葛藤を考える 中村香住
第9章 もしもアイドルを観ることが賭博のようなものだとしたら――「よさ」と「よくなさ」の表裏一体 松本友也

「目次」『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』

「序章」(中村香住)は次のような書き出しから始まります。

私たちは日々、アイドルの表現を楽しみ、それにエンパワーされている。

中村香住「序章 きっかけとしてのフェミニズム」『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』

この編著者による表明は、この書籍を読み進めるうえで安心感を与えてくれました。すなわち、この書籍はアイドルとそのファンを指弾するために書かれたのではなく、「ジャンルが抱えるいびつさについての批判」を「ファンダムの側」から「ジャンルの可能性を信じようとする営為」として引き受け(香月孝史「はじめに」)、まさに「葛藤しながら考え」るのだという宣言であり、ここで繰り広げられるのは実情を知らない外野からの無責任な論評ではない「私たち」の言葉なのだという安心感。

私自身は、いわゆる「アイドル」ファンではないのですが、一方で何名かのVTuberのファンはしており、「歌ってみた」についてもうっすらと追いかけているつもりではあるので、そういった意味においてこの安心感は大きかったです。(オタクはいつも被害者意識が強めのイキモノなので、まあ、仕方ないですね……)
同時に、オタク(の大半)は「コンテンツ」の共犯者として搾取(それはいわゆる「運営」「プラットフォーム」サイドによる「演者」「生産者」への搾取なのかもしれないし、「業界」による「消費者」への搾取なのかもしれないけれども)の構造を無意識に、あるいは半ば意識的に許容し、増強しているのは確かなのだろうし。

目次を見ていただければ分かるように、本編は「アイドル」というものについて、多様な切り口から論ずるものであり、一定の結論を導くものと言うよりは、読者に考えるきっかけを与えるものとして企画されており、読んでからいくつか考えることがありました。

なので、この記事はこの書籍への感想文ではなく。この書籍を読んで、私がVTuberについて考えたことを、何ら根拠を示さず、未整理に吐き出すものです。
(なお、私が主に追っているのはVTuberのうちにじさんじ所属の一部と神椿・深脊界所属のバーチャルシンガーの一部なので、言説に偏りがある可能性は大いにあります。特に、所謂「四天王」に触れてこなかったので……)

VTuberにおける「恋愛禁止」とジェンダー : 「てぇてぇ」として消費される二者関係

本書の第1章「絶えざるまなざしのなかで」(香月孝史)では乃木坂46のMV『僕は僕を好きになる』や同グループの生田絵梨花と秋本真夏にインタビューを例に挙げながら、アイドルが絶えず「見られる」ことにより、本来私的な事柄であるはずの二者間の親密な関係性すら「コンテンツ」として消費され、当事者にとって「演技」のようなものに変化しうることを指摘しています。

本書の第6章「クィアとアイドル試論」(上岡磨奈)では、「二丁目の魁カミングアウト」を題材に、異性愛中心主義、あるいはそこから派生する「恋愛禁止」という「規律」からアイドル文化が解き放たれることは可能かという点を検討しています。

本書の第7章「「アイドル」を解釈するフレームの「ゆらぎ」をめぐって」では雑誌メディアでの言説等を手がかりに、アイドルに関するイメージやファンとの関係性を考察するものですが、1980年代の「男性アイドル誌」が登場し、読者による読者ページなどに2000年代までには男性アイドルを疑似恋愛的な枠組みでとらえた言及が多く見られるようになってくることが指摘されています。一方で、同時期に男性アイドル同士の「絆」に着目した記事をも掲載しており、男性アイドル同士に「恋愛」関係を見立てるような形の記事、読者の反応も見られることを紹介しています。
(男性アイドルの関係性に「萌え」を感じるファンが少なからずいることは、古くは「J禁」という言葉の存在からも明らかでしょうね)

翻って、VTuberについては、比較的「恋愛禁止」の規律は緩いものがあるように思われます。
VTuberにおいては一般に「てぇてぇ」という語が用いられ、これは「カップリング萌え」「関係性萌え」の派生としての「尊い」からの転用であり、観測する範囲においては、同業者としての仲間意識や友情関係からプラトニックな恋愛関係、あるいは多少の「じゃれあい」まで、多様な関係性について適用可能な表現として使用されているようであります。

インターネットサブカルチャーを好む人たちの間で、創作作品やキャラクター等に対して「好き」「萌え」を通り越して信仰心に似た強い感情を抱いている状況を表すときに使われる言葉である。
(略)
主にバーチャルYouTuber同士が仲良くしている状況に対して使われる
(略)

「てぇてぇ」『ピクシブ百科事典』

VTuberは、他の異性ないし同性のVTuberに対する好意を表明し、あるいは恋愛感情をほのめかすことは(それぞれのファン層に依存するとはいえ)基本的に許容されていると考えていいのかもしれません。
(そうした文化のある種の象徴として、 #にじさんじベストパートナー決定戦 がある気がするので2時間ほど時間のある方は見ていただければ)

一方でこれは、VTuberをキャラクターとして(あるいは半ナマモノとして)カップリング妄想するという文脈においたものであり、視聴者に妄想の燃料となる「コンテンツ」を提供する範囲においてのみ許容されているとも捉えられるように思います。これは、ある意味において「百合営業」にも通じる点があるかもしれません。

そして、特定のパートナーと交際していることを公言しているVTuberはかなり限定的であるように思います(既婚者であることを公言しているグウェル・オス・ガールさんとかもいますが)。
少なくないVTuberは、一定程度「疑似恋愛」的感情あるいは「性的なまなざし」を向けるファンがいることを前提にしており、そこから明示的でないにせよ交際を公表することに負のインセンティブがはたらくのやむを得ないのかもしれません。
同じことは、カップリング妄想を繰り広げる「てぇてぇ勢」としても、「原作」であるVTuber同士が交際を表明するよりも、妄想の「燃料」を供給し続けてくれた方が解釈の余地が生まれて(あるいは解釈不一致が避けられて)「たすかる」のかもしれません。

これは、VTuberをアバターを使用するタレントとして捉えるのか、パーソナリティーを特定個人に依拠したキャラクターIPとして捉えるのかという問題のような気もします。もちろん、それは個々のVTuberがどういうスタイルで活動するのかというところに依存しますが。

その言い換えればVTuberのロールプレイ度、フィクション度の大きさが、同時にVTuber間の関係性をファンが無邪気に消費し、あるいは関係性を捏造することの倫理性の多寡にもつながるのかもしれません。「肉体が生身ではないだけで普通の人間」同士の関係性なのか、それとも「人間が操演しているだけの人形」同士の関係性なのか。もちろん、現実はそのグラデーションの中にあって、良識をもって行動しましょうということになるのでしょう。

例えば、VTuberは一般にハッシュタグを使用してSNSへのファンアートの投稿を歓迎していますが、他のVTuberとのカップリングを描いたものについてはハッシュタグを使用しないようアナウンスし、かつ自身はそれらのファンアートについて言及しないと宣言している例など、ある種ファンコミュニティの善意に委ねている実例が見受けられました。

柔らかな身体 : VTuberはジェンダーを越境可能か?

にじさんじ所属のVTuberからなる音楽ユニット「Rain Drops」に『VOLTAGE』という楽曲があります。

めっちゃいい曲なんで聞いていただきたいんですけど、2番Bメロの歌詞がいいんですよね。

ジェンダーもボーダーも飛び越え
共有したいだけさ好きなことだけ

藤林聖子作詞、Rain Drops『VOLTAGE』

本書を読んだ際に、思い出したWeb記事があります。以下に書きしるすことは、こちらの記事と重なる部分もあります。
VTuberの性別ってどんな気持ちで決めてるの? 新連載「VTuberのしんぎゅらりティー」#1性を選ぶ

バ美肉」という言葉はもはや若干古めかしい響きすらありますが、VTuberは(資本主義市場で取引をすれば)望む容姿、望む身体(あるいはアイデンティティ)を手に入れることができるというのがその本質的な特徴のひとつではあります。
そのなかには、もちろん異性の身体というものも含まれ、「バ美肉おじさん」を中心に演者とは異なる性別のアバターを使用していることを公表しているVTuberもいます。

一方で、性別を「未公表」「不定」のような形にしているVTuberも少なからずいます。

例えば、プロフィール上「性別不詳」とする緑仙。自身の配信では、VTuberとして活動するうえで性別が重要な要素であるとは考えておらず、むしろ自身の性別がいずれかであることで応援しないという選択をされることを避けたいために性別を公表しないという選択をしているとしています。
衣装についても中性的な印象のものを使用しており(メイド服着てましたけど)、6月のジューンブライドイラストではタキシードにヴェールという衣装で描かれています。

とりあえず、「イツライ」のMVがエモいから見ていただきたい所存。

そんな緑仙とユニット「こじらせハラスメント」を組んでいる弦月藤士郎は性別は「弦月」としています。配信の中で、自身も相手の性別に関わらず好意を抱くことを明らかにしており、自身の性別を明言しないことによりファ
ンも躊躇なく自身を推せるのではないかという考えを示しています。

(余談)そんな、「こじらせハラスメント」ですが「大切なお知らせ」という、アイドル文化とVTuberを架橋するメタ感の強い名曲を発表していますので是非聞いてください……(名曲です)

それでは、VTuberという枠組みは、ジェンダーやセクシャリティといった制約を、あるいは異性愛規範やそれとは裏返しの「恋愛禁止」という[不]文律から解放された新たな場所となるのでしょうか。

バーチャルな身体、バーチャルなアイデンティティがあることが、ある種の安全装置として機能するのは確かかもしれません。ですが、結局のところ、アイドル同様、VTuberという枠組みそれ自体が観測するファンコミュニティに依存する以上、コミュニティの意識が改善され続けることでしか、そうした制約からの解放は実現しないのかもしれません。(「10代~20代のファンが多い」とされるVTuberファンにおいて、比較的そうした意識のアップデートがされているような体感はありますが。)

おわりに : 偶像と虚構、「偽物」の光にそれでも私たちはエンパワーされ続けられるのなら

バーチャルシンガーグループ 「V.W.P」の楽曲「言霊」にこんな一節があります。

私達は偽物だ

だけど想いはここにあって
あなたを探していて
これが愛という名前になるなら
聞き覚えのあるその言葉に縋りたい
この世界には愛がある
そうでしょう?

カンザキイオリ 作詞、V.W.P『言霊』

アイドルにせよ、VTuberにせよ、私たちが目にする表現は何らかの意味において「偽物」であって。私たちはそれを知りながらも「エンパワーされている」のでしょう。では、エンパワーされている私たちは「偽物」にどう向き合うべきなのでしょうか。

もちろん、私たちは数多くのフィクションから影響を受けるわけですが、多くのフィクションと異なりアバターの背後、近い距離に演者がいることから、そしてアイドルと異なりVTuberはリアルタイムの双方向コミュニケーションが可能な機会が多くあることから、不用意にファンが直接的に演者を傷つける機会もまた多くあることには注意が必要でしょう。

また、企業所属のVTuberの場合、多くの場合はYouTubeのスーパーチャットが主要な収入源になることが多いとされています。(報道等によれば、形態としては所属企業の収入になり、レベニューシェアの形で視聴者の支払った額のおおむね50%程度が受け取れるとされている)

ANYCOLOR株式会社 有価証券報告書(新規公開時)より

スーパーチャットはいわば推しへ直接的に貢献ができる機会でもあり、スーパーチャットは他の視聴者からも認知可能であることから競争が過熱する構造ともなっており、一部のVTuberでは「ガチ恋勢」による経済的能力に見合わないスーパーチャットがなされる、といったような話を耳にするようなこともありました。

あるVTuberが「VTuberは無料で見られるところがいいコンテンツなんです」「有料メンバーシップに入っていないからコメントしちゃいけないとかはない」「でもお金貰えると色々な活動につかえるし生活も豊かになるのは事実」みたいなことは言っており、まあつまりそういうことだよなあとも思います。
ANYCOLORさん、2022年4月期の営業利益42億円ということで、それぞれの所属VTuberが長期にわたって安心して活動できるような仕組みを考えてくれるといいんじゃないですかね。(投げやり)

というわけで、VTuber鈴木勝の初のオリジナル曲「並行宇宙の君へ」をお聞きください。エモいので。(語彙力)

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